(THE 飛躍)ギャルとオタクに対する超個人的解釈
これまで対なるものとして描きがれがちだったギャルとオタクですが、
例
「オタクちゃ〜ん(く〜ん)何見てるの笑」
「…(ひっ)」
みたいな
現実を見てみると、最近はオタクとギャルが融合してきているなと個人的に感じます。
kawaii文化と厨二的な要素と二次元と2000年代の雰囲気というかそういうのが混ざっているのが主にネット上で流行ってきているというのもあると思いますが、
一番はギャルになりたいと感じる人が増えたことにあると思います。
ここ数年、kemioさんなどを筆頭にギャルという言葉が使われるようになってきました。しかし、ここにあるギャルはこれまでの不真面目、だらしないというイメージは全くなく、むしろ
・自分のかわいい(考え)を大切にしている
・人のかわいい(考え)を尊重する
・がんばる
・がんばれない時もあるがそれすらも肯定する
・おもしろい
という意味合いを持って使われている気がします。
社会で広く使われるようになってきたギャルですが、本筋のなぜオタクと融合し始めるのかという話に戻ります。
オタクは自分を肯定してくれるギャルもしくは自分自身を愛するギャルというものに憧れます。
でも、実際にはギャルはそんなに完璧な存在ではありませんし、いたとしても自分を肯定してくれるかどうかはわかりません。
おそらくそれはほとんどないでしょうし、そもそも理想化されたギャルと現実のギャルは違います。
そこで、オタクは自分自身がなれるのではないかと思いはじめます。(オタクに興味があり、好意的でオタクにとっても好意的なギャル)の概念はオタクの内側にいます。つまり、オタクしか知り得ませんから、逆に言えばそういったギャルはオタクでなければなれないのです。また、オタクがオタクにギャルになってくれと頼むよりも自分がなったほうが早いため、自らのギャル性を見出したオタクは自己開発(ギャル化)に挑みます。
そういった「気づき」からオタクは自ら理想化したギャルになろうとします。これがギャルとオタクの融合だと私は考えます。
では、なぜオタクは今までギャル化してこなかったのかと考えると、色々な影響があると考えられます。それについてはもっと深く考えられそうなので、ここでは取り上げないことにします。
雑考すぎる